毒親の記憶と私の生活

毒親のことや日常の出来事や思ったことを書いていきます

思うことはたくさんあるのに

毒親のもとに生まれ育ったことについて、毎日何かしら思うことがあります。

そのことをブログに書きたいと思うのだけど、うつの症状である思考停止状態もあって、自分が思っていることを言葉で表現することが難しく、ブログを中々更新できないという状況になっています。

それと、ブログを書くことは、過去の出来事を思い出す作業であり、過去の出来事を経て今の状況があるということが、私にとって無念であり、悔しくもあり、そうなるとつらくて、自分の中のその気持ちを正視したくなくて、書くことから遠ざかってしまっています。

だったらブログをやめればいいのでは、となると思うのですが、自分の過去や気持ちを吐き出す場所がないと自分が潰れてしまいそうになるので、感じていることを書くことによって心を癒やしています。

また、書くことで気持ちを整理するのにも役立っています。

なので私にとってブログを書く行為は必要なんだと思うわけです。

 

というわけで、久々にブログを書いています。

1月に親族関係調整調停があったのですが、毒母は来ませんでした。

書記官が自宅と携帯に電話をしてもでません。

毒母は「私は何もしていない」と言っていたので、そう思っているなら出頭してそう言えばいいのです。

毒母は自分の正当性を訴えるために来るだろうと思っていましたが、来ないところを見ると、自分が後ろめたいことをしているのを自覚しているということで、一般的に見て自分が責められる立場であることがわかっているんだなと思いました。

相手方欠席のため、調停は不成立となりましたが、調停に提出した文書を毒母に送りつけたところ、その後音沙汰なしになりました。

毒母の行為を公的機関を使って第三者に訴えることは、効果があったようです。

 

 

頭の上にあった雲が去ったような、霧が晴れる思いでしたが、同時に自分の人生は幸せな人生ではなかったな、と思ったり、人生を自分らしく生きることが出来なかったな、と無念さがあらためて湧き上がってきました。

何十年も人格、思考、行動を否定され、洗脳されて生きてきた今の人生は、私が生きたかった人生ではないのです。

子供を一人の人間として尊重出来る親に育てられていたら、納得できる人生を送っていたのにとか、今の時代に育っていれば、もっと早く毒親と決別できたのに、と思ってしまうのです。

今の時代、自分を人として尊重しない親なら捨てていいという考えを悪だと非難されない世の中になってきています。

同じ様な境遇の人同士がsnsでつながったり、他人の行動や思っていることの情報を得ることが心の支えになったり、自分の考えを後押しすることにつながっています。

そう考えると、人生残り少なくなるまで、毒を与え続けるだけの親だと気づけなかった、親を捨てられなかった自分の人生が恨めしく思えるのです。

人生最後の日に、私の人生これでよかったとは思えないでしょう。これでよかったとまではいかなくても、いいことも悪いこともあったけどこんなものかな、ぐらいに思える人生を送りたかった。

無念の人生でしたが、それでも、日常の小さな幸せをかき集めながら、自分を支えて今日も生きています。

 

 

 

 

 

 

 

 

しつこい毒母

毒母の訪問は前回の訪問から2回あり、速達で手紙が届いたのが1回、電話が2回ありました。

2回目の訪問時に要件を書いた手紙を郵便受に入れて行ったので、開封せず私からの手紙と一緒に毒母に送り返しました。

私が書いた手紙の内容は、

重要な用件や緊急な用事でも絶対に連絡はしないでほしいということ、声を聞くだけで仕事に行けなくなるということ、生涯顔を見ること、声を聞くこと、手紙の文字を見ることを避けたいということ、そして自宅を訪問したり、手紙を書くことは絶対にしないで下さいと書きました。

この内容は今まで10回以上伝えてきた内容ですが、また伝えました。

にも関わらず、今度は電話をしてきます。手紙も速達で送ってきます。

私が電話に出ないと何度も電話して、それでも出ないと留守番電話にメッセージを残します。

いやいや、声も聞きたくないって書いたよね。しかも私が毒母に仕事に行けなくなるから訪問しないでほしいと電話した時は、直接話がしたくないから毒父を通して話せって言ったのに、自分は直接訪問したり電話で話していいことになっています。

 

速達の手紙の内容は、毒父が家の前で転んで骨折したため、毒弟が家まで運んだことやその後の経緯が詳細に長々と書かれており、その他は自分が毒父の世話で大変だということや自分の体の衰えについて愚痴のようなことが書いてありました。

そしてこのことを私が聞いたら心配するかと思って躊躇したため、伝えるのが遅くなったと書いてあるけれど、毒父が入院している時に何度も私に電話をしています。

電話で伝えた上に手紙まで書いており、自分の不安を私にぶつけて楽になりたいのと、いかに自分が大変な中頑張っているかを言いたくてしかたがないという感じをうけました。

そして手紙の最後には、「私や◯◯君(息子)が家に来てくれたら、二人の顔が見れるので嬉しいです」とありました。

追い出しておいて呼び寄せる。まったく矛盾しています。

以前も手紙に「正月に来てください、楽しみにしています」とありました。

だからあなたが私たちに家にいてほしくないからひどいことを言って追い出したんでしょう? そんなことをされたらその家に行きたいと思わないという相手の気持ちを全く考えない言葉です。

自分のしたことはなかったことにする病気。

それが自己愛性パーソナリティ障害であり、モラハラと言うのでしょう。

 

何度言っても訪問したり連絡をしてくるので、親族関係調整調停をを申立てました。

毒母のところに調停の案内と申立ての理由が届いてからも電話がありました。

申立ての理由に、家族に接触すると精神疾患の症状が悪化して仕事に行くことが出来なくなるため、訪問や連絡を取ることを止めてもらいたいと書いてあるにもかかわらずです。

 

電話に出るとすぐに自分の言いたいことを喋り始めたので、話をさえぎって聞いて見ました。

私 「調停の案内が届いてるよね」

毒母「きてるよ」

私 「申立ての理由が書いてあるよね」

毒母「わたしなんにもしてません」

私 「今してるじゃない」「連絡しないでって言ったのに電話してるじゃない」

毒母「わたしなんにもしてません」

私 「・・・」

そしてまた自分の喋りたいことを喋り出したため電話を切りました。

 

毒母は、私の手紙や調停の申立て理由を読んで、自分が私によからぬことをしたせいで私が仕事に行けなくなったかのように言っているけれど、自分は何も悪いことはしていないということが言いたかったのだと思います。

そして、自分は何も悪いことはしていないのだから、訪問や連絡をしないでほしいという私のお願いを聞く必要はない、むしろ、お願いを聞いてしまったら、自分の否を認めることになると思っているのではないかと思いました。

私の頼みを聞く=自分に原因があると認めることになる=自分の敗北、私の勝利と考えているのでしょう。

もはや自分に否がないことを訴えるために、意地になって接触してくるとしか思えません。

歪んだ考えで自分の勝利に執着するしつこさが異常です。

調停をすることによって連絡してこなくなることを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

毒父

毒父は北関東出身の男尊女卑の思考が強い人間で、貧乏コンプレックスと学歴コンプレックスを持った人です。

 

高校生の時に大学への進学を希望しましが、毒父の「(毒弟)が大学へ行くからお前はだめだ」の一言で大学進学を断念しました。

お金に余裕のある家ではなかったため、二人分の学費は払えない、でも男は一生働くから無理しても大学へ行かせるけど、女は家庭に入るから余分な金をかける必要はないという理由だと思います。

なにより、学歴コンプレックスをもつ毒父は、女に学歴がついて自分より優位になるのが嫌で「お前なんか大学行けるか!」と言い、大学進学を断念させようとしました。

 

進学校に通っていたにも関わらず、毒両親は私のことを本気で馬鹿だと思っていて、「お前は馬鹿だ」「本当の馬鹿だ」とよく言われました。

 

一方、毒母は自分の父親が大卒で、結婚する時に母親に「大卒の人と結婚してほしかった」と言われた言葉が心にひっかかっていて、私を大卒の人と結婚させて、自分が果たせなかった母親の希望を叶えたいという思いで私に短大を勧めました。

短大を勧めた理由は、女は男と並んだり、秀でてはならないから大学には行かなくてよい、でも大卒の人と結婚するためには、ある程度の教養がないと釣り合わないからということでした。

大学が駄目なら、専門学校で服飾デザインを学んでデザイナーになりたいと言うと、娘を見下したい毒父は「お前なんかなれるか」と言い、毒母は「お針子さんなんて中卒の仕事だ」と時代錯誤もはなはだしい見解を示し、職業を全く理解しませんでした。

 

毒父と毒母で考えが異なりましたが、結局、家庭では毒父より毒母の力が強いため、短大へ行くことになりました。

自分の希望と違う進路を強要されてもやもやしたので、友人にそのことを話すと、

「進学させて貰えるだけいいじゃない。私なんか進学したくてもできないんだよ。」

と言われました。その友人は父親を亡くして、母子家庭でした。

友人にそう言われて、(そうだよな。進学させてもらうだけありがたいよな。)と思うようにしました。

私には毒親の意にそうように自分の思考を捻じ曲げる癖がありました。

 

受験勉強をするにあたって、参考書や問題集を買いたいと毒母に言うと、「学校の教科書で十分だ!」と言われて買ってもらえず、しかたなく教科書だけで受験勉強をすることになりました。もちろん塾には通わせてもらえません。

一方で、毒弟には小学校から2つの塾に通わせ、私立中学の受験をさせました。

高校も私には「公立に行って親にお金をかけさせないのが親孝行だ!」と言ったのに、弟には私立の高校を勧めて入学させました。

 

当時地方に住んでいましたが、毒父が都心に転勤することになり、都心郊外から通える短大を受験することになりました。

全く土地勘がないので、一足先に都心に単身赴任をしていた毒父に受験会場まで案内してもらうことになったのですが、3校受験する内の2校に遅刻をするという失態をしてくれました。残りの1校も遅刻しそうでしたが、なんとか10分前に席に着くことができました。

受験会場までタクシーで行ったのですが、道が混んでいて進まず、心配したタクシーの運転手が「歩いた方が早いですよ」と言ったのに毒父は「いや、いいんです」と断っていて驚きました。

前日に二人で親戚の家に泊まらせてもらったときも、勉強をしている私に「勉強なんかやってもむだだ、むだだ」と言い、電気を消してしまいました。

自分の娘が受験するのにそんな態度の親がいるのかと驚きました。

短大は結局10分前に着席できた第三志望の短大のみ合格しました。

第一志望の学校は1教科目の残り時間が15分しかなく、泣きたくなりました。

毒父は私に本当は進学してほしくないという気持ちからこのような行動をとったのだと思っています。

 

この間、「ドラゴン桜」というドラマを見ていて、弁護士の桜木健二が、女に学歴は必要ないと言っている生徒の小杉麻里の父親に言ったセリフが印象的でした。

 

(以下桜木のセリフ)

「学歴なんか必要ないと言いながら、誰よりも学歴にこだわっているのは、あなたの方なんじゃないですか

自分が学歴で悔しい思いをしてきてるからじゃないですか
なのになぜそれを娘に与えようとしないんだ

あんたは単に娘を自分より優位に立たせたくないだけだ
女に学歴は必要ない、そんな時代錯誤なやつってのは、自分のプライドを守るために古い考えに固執し、今の世界を見ようとしない
コンプレックスをもつのは結構、どうぞ勝手にやってくれ
だがな、そのちっぽけなプライドを守るために娘の自由を奪い、力ずくで抑え込もうとする
そういう親こそ本当のクズ親だと俺は思うがな」

 

このセリフを聞いた時、私が思っていたことだと思いました。そう、本当のクズ親!よくぞ言ってくれました。

 

モラ夫と毒母

毒母はあれから一度やって来て、いつものやりとりをしたあと、私を小馬鹿にして帰りました。

その態度に腹は立つけれど、今までなら毒母の顔を見たり声を聞くだけで気持ちを揺さぶられて不穏状態に陥り、感情をどう処理すればいいのかわからない状態が続いていましたが、毒母は自分で決して気づくことのない病気であることを何度も思い知ることで、自分の気持ちを整理できつつあります。

 

そんな中で元夫と養育費についての調停がありました。

元夫もモラハラです。

モラ夫は毒母の友人の紹介で知り合ったのですが、違和感があったため結婚を躊躇しましたが、毒父に怒鳴られ、毒母に見合いを破談にする代わりに無理な要求を出されて渋々結婚することにしました。

今思うと特に好きでもない相手と結婚しないからと怒られるのはおかしいし、無理な要求をまともに受け取らなくてもよかったのにと思いますが、幼い頃から親が絶対で依存体質になっていた私は、このときはまだ家族の一員だと思われたい、完全に嫌われたくないという思いがありました。

親のためとは思いながら、自分の家族にはない愛情のある関係を自分の子どもに期待すると同時に自分の居場所を他に求めたところはあります。

結婚生活は蓋を開けてみると、夫がマザコン、アル中、モラハラの三拍子揃った人だったのでひどいものでした。

モラ夫にとって毒家族育ちのタゲられ体質だった私は恰好のターゲットとなり、離婚して長年たった今でも私に勝ちたい、不幸にしてやりたいという気持ちを持ちつづけています。

そんなモラ夫との調停は言ったことを言っていないとか、そういう意味で言ったのではないとか、だったらどういう意味なのかを聞いてもその問には答えず同じセリフを繰り返すという話し合いにならない調停です。

何度か調停に入っていますが、モラ夫は気持ちに余裕があるときは誠実で可哀想な自分を演じますが、今回はピリピリして怒りを露わにしていたそうです。(いつも同席はせず調停委員に話しを聞きます)

理由はなんとなくわかっています。

ひと月半前にモラ夫が息子との面会交流で、離婚原因に関わっている自分の母親を介入させたことに抗議したからです。 

ターゲットが自分の意見を持って反発するということは、ばかにされたとか負けていると思うようで、報復に燃えて私を困らせてやるといった態度でした。今までもそうでしたが、私から息子を奪おうとしたり、養育費の支払いを拒否します。息子のことを考えるよりも私を困らせることに執着します。

 

今となってはモラハラにある程度詳しくなったのでダメージを受けることも少なくなりましたが、結婚していた時は話し合いをしようとすると、長時間絡まれるだけで全く話が通じなくて気が狂いそうでした。

 

モラハラと距離をおいてどういう人間かがわかってくると、モラ夫も毒母も人格障害をもった病人なんだいう認識をはっきり持つことができるようになって、私の心の中では遠くにいる人となりました。

それはモラハラ被害の記憶から脱出しかけているということかもしれません。

そう思えるようになるまでに人生で多くの犠牲を払い、時間もお金も費やして、二次被害三次被害に会って、受けなくていい傷を受けたけど、そこまでに至らないと自分の愛着障害に気づき、洗脳や依存体質から抜けることができなかったとも考えられます。

 

元夫も毒母も同じモラハラですが、毒母の方が遥かにしたたかで周囲を洗脳する力に長けています。

モラ夫は表向きもわがままな態度が見えるため人に嫌われますが、毒母は他人の前では自分の闇の人格を全く見せず、完全に良心的な人間になりきるため人に好かれます。グループの先頭に立ち、人を引っ張る力もあります。

悲しく思うのは、表向きがいい人である毒母は、相手が完全に自分の味方になるまでいかに私が悪い人間で自分や家族が困らされているかを言い続けるため、それまで毒母と私と共に関係を持っていた人すべてが、毒母の言い分を信じて私が悪者だと思ってしまうことです。

毒父も元々おかしいところはあるけれど、ある程度この方法で毒母に取り込まれたのだと思います。

 

ところで、夫婦間では精神的な暴力でも、裁判所が被害者に近づくことなどを禁止する「保護命令」が来年の4月から出せるようになるそうですが、どうやって証明するんだろうと思います。わかりやすくメールや電話の着信など記録に残るものなら証拠になるけれど、そうでなければ証明することが難しそうです。暴言についてはうまく録音が出来ればいいですが、(私の場合はうまく行きませんでした)モラハラは無言の威嚇もありますから。

やはり録画がいいのでしょうが、相手に気づかれずに録画するのはハードルが高いです。

モラハラはターゲットには警戒心が強くて注意深くなりますから。

 

私が離婚を考えた時には女性センターのDV相談も精神的DVは相談対象外でしたが、あれから20年の時を経てやっと国も無視出来ない状況だと思ったということでしょうか。遅い反応ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘つきでしつこい

先月毒母がまた来ました。手紙と手土産を持って。

「二度と行きません」と言ったのに。

今回は毒父のことを書こうと思っていたけれど、毒母の行動も記録しておきたいので毒母のことを書きます。

 

毒母 「私です。開けて」

私  「来ないでって言ってたよね。もう二度と来ませんって言ったじゃない」    

毒母 「手紙読んで。これ置いて行く」  と言って玄関の扉の前に手土産を置こうとしました。

 

私  「手紙書かないで、物を持って来ないでって言ったじゃない。私の話ちゃんと聞いて。嫌だって言ってるじゃない。嫌なことしないで」

それでも手土産を置いていこうとしました。

 

私  「嫌だって言ってるじゃない。どうせ捨てるし触りたくもないの」「私の話をちゃんと聞いて。あなたと会うと具合が悪くなって仕事に行けなくなるの。死活問題なの。息子も言い合いを聞くのがストレスなの」

毒母 「わたしもいつ死ぬかわからない」

だから何だっていうんでしょう。またしても答えになっていません。

いつ死ぬかわからない人間だから自分のすることを受け入れないと私が後悔するとでも言いたいのでしょうか。

「それはエゴでしょ。そんなの知らないわよ。関わりたくないの。」と言うと

「どうしたらいいの」と泣きそうな声で言いって帰っていきました。

まるで私が意地悪で冷たい人間みたいになっています。

自分の思い通りになるまで同じことを繰り返していて、しつこさに辟易します。

そう言えば、毒母は私が嫌がると余計に意地になって自分を通そうとするということを思いだしました。

 

こちらが拒絶すると、「だって私たちは家族じゃない」と言い、家族だから関わり続けるのが当たり前だという理屈をつけます。

 

 

でも本当のところは、

同性の私がいると、自分の立場が脅かされて嫌だから追い出したけど、世間からは娘を心配する心ある人間だと思われたい。

自分の悪行を正義にして私を悪にするために孫を味方につけて、私を嫌わせたい。

世間の人と同じように孫の話をして、世間の人から幸せだと思われたい。

自分を立派な人間だと思いたいので、劣等感を払拭するために貶める相手が必要。

という自分の本当の目的が自分でわかっていないのです。

 

私は家族に自分の人格を歪まされて、混乱させられて、他人との関係も壊してきて、信用も無くして、人生を壊されてきました。

もっと早くに自我を強く持つことが出来れば、自分を大切にして、自分軸を持つことが出来ていたら、そうすれば、もっと早くに毒親との決別が出来たかもしれないし、少しはうまく生きることが出来て、ここまで不本意な生き方をしなくて済んだのかもしれないと思ったりします。

洗脳と支配によって、そういうものが一切育まれませんでした。

自分を大切にすることを教えられず、自分を大切にすることをわがままで自分勝手と教えられ、常に犠牲でなければ家族として認めないという教えでした。

 

私は自分の人生を生きた気がしないのです。というより、自分の人生を生きていません。

自分の意思で物事を決めたことがほとんどないのです。

いつも決定権は毒親にあって、毒親の指示に従って生きてきました。それが親孝行であり、立派な人間のすることだと教えられてきました。

すべては自分たちが世間から認めてもらうため、肯定感を得るため、都合の悪いことを隠すための自分たちにとって都合のよい指示でした。

 

それでもネットで情報を得るようになってから、家族のあり方がおかしいことや毒母の人格が異常であること、毒母のような人からは逃げるしかないことを知れたことはよかったと思っています。

 

ただ、毒親の毒は連鎖するのです。

息子も暴力的な機能不全家族に囲まれて育ったことで、一時期不登校になりました。

私も長年毒にさらされたことで、感情のコントロールができずにトラブルを起こし、息子まで悪く言われることになり、彼の交友関係にもヒビを入れてつらい立場に立たせてしまいました。

また、息子と接するときに無意識に毒親を参考にしているところがあるようで、自分の話し方や接し方が毒母に似ていることがあり、ハッとすることがあります。

何より人生が生きづらくて仕方ありません。そんな私に育てられた息子も同様に生きづらさを抱えています。

息子にとって私は毒母なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

毒母の望み

実家の近所の人に会うと、「実家に来ないね」と言われるけど、実家に行っているかどうかは近所の人にはわからないはずです。だって夜に行ってるかもしれないし。たぶん毒母が娘と孫が来ないと言っているんだと思います。自分のしてきたことはなかったことにして、母親に孫を会わせないひどい娘という設定なんだろうなと考えます。

 

前回電話で毒母は「孫へお年玉を渡しに行くのにあんたに断る権利があるの?」と言っていましたが、毒母の目的は孫を取り込んで私を孤立させることです。間接的にでも関わるとよからぬことをし始めるので、そう伝えて息子への接触を断りました。

 

今までも親戚から近所の人、自分の友人に私を悪者に仕立て上げて話をしてきたし、息子にも「かわいそうに、こんな親で」とたびたび言い、悪い親なんだという認識を持たせるように仕向けてきました。毒母のいやらしいところは皆の前で私にそのようなことを言うところです。皆の前で私を悪者に仕立て上げると同時に私を傷つけて、その場で孤立させるというやり方をよくします。もちろんふたりきりのときも私の幸せそうな空気を感じたり、楽しそうにしていると傷つける言葉を発します。モラハラは人の不幸を願っています。人が自分より不幸だと思うことで自分が幸せだと信じたい気持ちが極めて強い人です。モラハラにとって幸せとは勝つことです。人を引きずり下ろしてあるいは見下して勝つこと。ただし到底勝てない相手にはこのような気持ちは持ちません。

 

以前毒母を説得して大学病院の精神科を受診したことがありました。最初は拒否していましたが何度か説得すると考えを変えて受診してもいいと言い、私の付き添いで受診したのですが、その時に精神科の受付の人に先生あての手紙を渡していました。診察室に入ると最初に先生と毒母が話をし始めました。先生の机にはパソコンがあって、そこに先程毒母が渡した手紙の内容が打ち込んであり、全部は見れませんでしたが、私が暴力を振るったり怒鳴ったりして困っているということが書かれていて驚きました。先生と話す中でも孫を含めて家族全員が私に困っていると訴えていて、ここでも息子を自分の仲間に取り込んで私と敵対させようとしていました。私が「暴力振るってるのは自分でしょ」と言うと、「私はこの人が暴力振るうからやめてって肩をそっと押しただけ」と言う始末です。毒母が急に気がかわって受診すると言ったのは、先生に私が注意されて悔しい思いをさせるためと私が悪くて自分が正しいと認めてもらうことで私に勝つことが目的だったのだなと気がつきました。

 

もっと以前に私の主治医に会わせろと言ったことがあり、「会ってどうするの」と聞くと「先生と直後話せば先生はあなたは正しいと言う」と言っていました。普通家族の主治医に会って話す場合、家族の身体の心配をする人が多いと思うけど、そうではなくて自分が正しいと認められたいから主治医に会う。病院はそういうところではないわけで、自分がやろうとしていることがおかしいと思わないことに驚きます。

 

そういうこともあって毒母にとって私に勝つということは生涯のライフワークで、勝つために私を悪者にして孤立させて引きずり下ろす必要があるのだと考えます。私に勝つことは自分の肯定感を保つことに繋がるのですが、健康な肯定感の保ち方とはほど遠い病的な保ち方です。

そして勝ちたいために、自分の方が幸せだと思いたいために、私を不幸にしたいのですが、不幸になればそれで終わりではなくて、不幸になった私に自分がたまに手を差し伸べて娘思いの自分という設定で優越に浸るというシナリオなのです。毒母にとって私はかわいそうでなければならないのです。

 

今現在私は毒母と離れてモラハラ虐待の後遺症はあるものの穏やかに生活できることに幸せを感じていますが、実家を出る時に毒母に「やっぱりあんたは不幸になるのよね〜」と言われました。自分が出て行けと言ったのに?

出て行ったあとはたまに来て「生活どうしてるの?心配してるの」と言ったり、息子の誕生日や正月にお金をもって来て、自分が悪者にならないように、世間に自分は娘と孫を心配している思いやりのある人間と映るように、隙あらば孫を味方につけて私をさらに孤立させるように行動します。それと自分が優越を感じるために。

持ってきたお金を断ると揉めると思い、受け取ると「やっぱりお金がないから受け取ったわ」と毒父や親戚の人間に話して優越感に浸ります。

 

今は勝手に出て行った娘に拒否されていると言いふらしており、自分は出て行くのを止めたと言っています。実家の近所の人には親不孝で問題のある人間として避けられています。

毒母は私のことを言うことを聞かない、自分勝手な人間だと言っていて、そんな娘に「情けなくて涙がでる」そうです。このセリフを一番よく聞きました。私に罪悪感を持たせるためと肯定感を無くさせるためのセリフです。そのようなことをしていると自分が死んだ後私はきっと後悔すると信じています。「あんたは親が死んでから泣くんだ」と言われました。大した自信であきれます。

 

早く引っ越したいです。このままここに居れば毒父が亡くなる時にまた嫌なことが起こるに違いないから。その時には新しい住所は教えないことにします。もちろん住民票や戸籍も閲覧出来ないようにします。

 

 

 

 

 

 

 

毒母が来てからのその後

毒母が来た後、しばらく精神不安定になり仕事に行けなくなったので、そのことを電話で伝えて家に来ないように言いました。

すると、

「なんでそうなるのか知りたいの」

「私は出て行く時引き止めた」 

「家族なんだから(訪問してもいいんだ)」

「孫へのお年玉をあなたが断る権利あるの?」

などなど言いました。

そのあとなぜそんな話になったのか忘れましたが

「私は明るくて楽しい家庭を作ってきた!」

「もう二度といきません!」

と言いました。

暴力と暴言に満ちた家庭が明るいわけがないんです。毒母も本当はそうじゃないことを頭の隅でわかっているんです。でもそうは思いたくないから自分で自分に言い聞かせているようにしか聞こえませんでした。

まわりからそう思われたいという願望。称賛されたい、羨ましがられたいという気持ち。モラハラだからそういうのは当然かもしれません。

 

そんなことがあり、その後もしばらく仕事にはいけませんでした。家族から虐待されたことを思いだして怒りが収まらず、怒りは怒りの原因を作った人間に返さないと、このままではまた他人に八つ当たり的に怒って人間関係を壊してしまうと思い、今度は毒父に電話で怒りをぶちまけました。

 

虐待の後遺症のために何かあるとコントロール出来ないほどの怒りが湧きます。

そのことで何度か人間関係を壊してきました。もうそういうことはしたくはありません。

長年の習慣で理不尽な攻撃をされても、怒りを心に沈め込んだり、見て見ぬふりをしたりしてしまうのです。それはいつかいびつな形で外に吐き出されます。

 

だから怒りが湧いた時は押さえ込まずにその時に怒るということをこれからはしていきたいと思ってます。

 

今は毒母も「二度と来ません」といったのでしばらくは来ないでしょう。そう思うと落ち着いた気持ちになって正月を迎えることができました。