毒親の記憶と私の生活

毒親のことや日常の出来事や思ったことを書いていきます

モラ夫と毒母

毒母はあれから一度やって来て、いつものやりとりをしたあと、私を小馬鹿にして帰りました。

その態度に腹は立つけれど、今までなら毒母の顔を見たり声を聞くだけで気持ちを揺さぶられて不穏状態に陥り、感情をどう処理すればいいのかわからない状態が続いていましたが、毒母は自分で決して気づくことのない病気であることを何度も思い知ることで、自分の気持ちを整理できつつあります。

 

そんな中で元夫と養育費についての調停がありました。

元夫もモラハラです。

モラ夫は毒母の友人の紹介で知り合ったのですが、違和感があったため結婚を躊躇しましたが、毒父に怒鳴られ、毒母に見合いを破談にする代わりに無理な要求を出されて渋々結婚することにしました。

今思うと特に好きでもない相手と結婚しないからと怒られるのはおかしいし、無理な要求をまともに受け取らなくてもよかったのにと思いますが、幼い頃から親が絶対で依存体質になっていた私は、このときはまだ家族の一員だと思われたい、完全に嫌われたくないという思いがありました。

親のためとは思いながら、自分の家族にはない愛情のある関係を自分の子どもに期待すると同時に自分の居場所を他に求めたところはあります。

結婚生活は蓋を開けてみると、夫がマザコン、アル中、モラハラの三拍子揃った人だったのでひどいものでした。

モラ夫にとって毒家族育ちのタゲられ体質だった私は恰好のターゲットとなり、離婚して長年たった今でも私に勝ちたい、不幸にしてやりたいという気持ちを持ちつづけています。

そんなモラ夫との調停は言ったことを言っていないとか、そういう意味で言ったのではないとか、だったらどういう意味なのかを聞いてもその問には答えず同じセリフを繰り返すという話し合いにならない調停です。

何度か調停に入っていますが、モラ夫は気持ちに余裕があるときは誠実で可哀想な自分を演じますが、今回はピリピリして怒りを露わにしていたそうです。(いつも同席はせず調停委員に話しを聞きます)

理由はなんとなくわかっています。

ひと月半前にモラ夫が息子との面会交流で、離婚原因に関わっている自分の母親を介入させたことに抗議したからです。 

ターゲットが自分の意見を持って反発するということは、ばかにされたとか負けていると思うようで、報復に燃えて私を困らせてやるといった態度でした。今までもそうでしたが、私から息子を奪おうとしたり、養育費の支払いを拒否します。息子のことを考えるよりも私を困らせることに執着します。

 

今となってはモラハラにある程度詳しくなったのでダメージを受けることも少なくなりましたが、結婚していた時は話し合いをしようとすると、長時間絡まれるだけで全く話が通じなくて気が狂いそうでした。

 

モラハラと距離をおいてどういう人間かがわかってくると、モラ夫も毒母も人格障害をもった病人なんだいう認識をはっきり持つことができるようになって、私の心の中では遠くにいる人となりました。

それはモラハラ被害の記憶から脱出しかけているということかもしれません。

そう思えるようになるまでに人生で多くの犠牲を払い、時間もお金も費やして、二次被害三次被害に会って、受けなくていい傷を受けたけど、そこまでに至らないと自分の愛着障害に気づき、洗脳や依存体質から抜けることができなかったとも考えられます。

 

元夫も毒母も同じモラハラですが、毒母の方が遥かにしたたかで周囲を洗脳する力に長けています。

モラ夫は表向きもわがままな態度が見えるため人に嫌われますが、毒母は他人の前では自分の闇の人格を全く見せず、完全に良心的な人間になりきるため人に好かれます。グループの先頭に立ち、人を引っ張る力もあります。

悲しく思うのは、表向きがいい人である毒母は、相手が完全に自分の味方になるまでいかに私が悪い人間で自分や家族が困らされているかを言い続けるため、それまで毒母と私と共に関係を持っていた人すべてが、毒母の言い分を信じて私が悪者だと思ってしまうことです。

毒父も元々おかしいところはあるけれど、ある程度この方法で毒母に取り込まれたのだと思います。

 

ところで、夫婦間では精神的な暴力でも、裁判所が被害者に近づくことなどを禁止する「保護命令」が来年の4月から出せるようになるそうですが、どうやって証明するんだろうと思います。わかりやすくメールや電話の着信など記録に残るものなら証拠になるけれど、そうでなければ証明することが難しそうです。暴言についてはうまく録音が出来ればいいですが、(私の場合はうまく行きませんでした)モラハラは無言の威嚇もありますから。

やはり録画がいいのでしょうが、相手に気づかれずに録画するのはハードルが高いです。

モラハラはターゲットには警戒心が強くて注意深くなりますから。

 

私が離婚を考えた時には女性センターのDV相談も精神的DVは相談対象外でしたが、あれから20年の時を経てやっと国も無視出来ない状況だと思ったということでしょうか。遅い反応ですね。