毒親の記憶と私の生活

毒親のことや日常の出来事や思ったことを書いていきます

強く記憶に残っていること

毒親との生活で強く記憶に残っていることが今でも思い出されます。

 

記憶その1

中学生か高校1年生のときだったと思う。

 

毒母は私の通知表がオール3だったことに激怒してスリッパで私の頭を叩き始めました。

洗面所に逃げてうずくまっても叩き続けて、両手で頭をかばったら、みぞおちを蹴り上げられました。

胃液が口まで上がってきて吐きそうになりました。

 

毒母は私を蹴り上げたあと「ハッ!」と一息吐き、せいせいしたという感じでクルッと背中を向けて去って行きました。

 

毒母が私を叩くのは夕食を作る前が多かったです。家事をやりたくない苛立ちを私にぶつけていたんだと思います。

だから理由はなんだっていいんです。

 

毒父がいる時は叩きません。毒父が帰ってくる前に叩かれます。

 

記憶その2

私が子どもの頃、毒母の実家は新幹線を使って行くほど遠方にありました。行くと10日くらい滞在していて、毒父は仕事の都合もあるし毒母実家は狭いので1日か2日滞在して先に帰ります。

 

行きは毒母も楽しそうにしていて殴られることはなかったけど、帰りはゲンコツで頭をなぐられることが時々ありました。

 

毒母実家から帰る時に祖母がお土産をくれるし、自分たちの持ってきた着替の他に買い物したものも合わさって荷物が増えます。

 

祖母が

「重いから宅配で送ろうか?」というと、

毒母は

「いいのよ、この子に持たせるから」と言って大きい紙袋を小学1年生の私に持たせました。

引きずらないように持ち上げて運ぶのは小さい私にはちょっと大変でした。

弟は毒母の背中におんぶされたまま、上から私にちょっかいをだします。

私が嫌がって弟と揉めると無言で私の脳天にゲンコツを落とします。

 

私が悪いんじゃないのにという悲しい思いと、まわりにたくさん人がいる中で殴られて恥ずかしいという思い、それでも重い荷物を運ばなくてはいけないという悔しい思いがいりまじった気持ちを抱えて毒母の後ろを歩いていたのを覚えています。

 

毒母は楽しい里帰りが終わってしまって帰らなくてはならないのが嫌だったのでしょう。

また家事に追われる日常に戻るのも嫌だったのだと思います。

 

毒母にとって怒る理由はなんだっていいんです。自分の苛立ちをぶつけられれば。