毒親の記憶と私の生活

毒親のことや日常の出来事や思ったことを書いていきます

嘘つきでしつこい

先月毒母がまた来ました。手紙と手土産を持って。

「二度と行きません」と言ったのに。

今回は毒父のことを書こうと思っていたけれど、毒母の行動も記録しておきたいので毒母のことを書きます。

 

毒母 「私です。開けて」

私  「来ないでって言ってたよね。もう二度と来ませんって言ったじゃない」    

毒母 「手紙読んで。これ置いて行く」  と言って玄関の扉の前に手土産を置こうとしました。

 

私  「手紙書かないで、物を持って来ないでって言ったじゃない。私の話ちゃんと聞いて。嫌だって言ってるじゃない。嫌なことしないで」

それでも手土産を置いていこうとしました。

 

私  「嫌だって言ってるじゃない。どうせ捨てるし触りたくもないの」「私の話をちゃんと聞いて。あなたと会うと具合が悪くなって仕事に行けなくなるの。死活問題なの。息子も言い合いを聞くのがストレスなの」

毒母 「わたしもいつ死ぬかわからない」

だから何だっていうんでしょう。またしても答えになっていません。

いつ死ぬかわからない人間だから自分のすることを受け入れないと私が後悔するとでも言いたいのでしょうか。

「それはエゴでしょ。そんなの知らないわよ。関わりたくないの。」と言うと

「どうしたらいいの」と泣きそうな声で言いって帰っていきました。

まるで私が意地悪で冷たい人間みたいになっています。

自分の思い通りになるまで同じことを繰り返していて、しつこさに辟易します。

そう言えば、毒母は私が嫌がると余計に意地になって自分を通そうとするということを思いだしました。

 

こちらが拒絶すると、「だって私たちは家族じゃない」と言い、家族だから関わり続けるのが当たり前だという理屈をつけます。

 

 

でも本当のところは、

同性の私がいると、自分の立場が脅かされて嫌だから追い出したけど、世間からは娘を心配する心ある人間だと思われたい。

自分の悪行を正義にして私を悪にするために孫を味方につけて、私を嫌わせたい。

世間の人と同じように孫の話をして、世間の人から幸せだと思われたい。

自分を立派な人間だと思いたいので、劣等感を払拭するために貶める相手が必要。

という自分の本当の目的が自分でわかっていないのです。

 

私は家族に自分の人格を歪まされて、混乱させられて、他人との関係も壊してきて、信用も無くして、人生を壊されてきました。

もっと早くに自我を強く持つことが出来れば、自分を大切にして、自分軸を持つことが出来ていたら、そうすれば、もっと早くに毒親との決別が出来たかもしれないし、少しはうまく生きることが出来て、ここまで不本意な生き方をしなくて済んだのかもしれないと思ったりします。

洗脳と支配によって、そういうものが一切育まれませんでした。

自分を大切にすることを教えられず、自分を大切にすることをわがままで自分勝手と教えられ、常に犠牲でなければ家族として認めないという教えでした。

 

私は自分の人生を生きた気がしないのです。というより、自分の人生を生きていません。

自分の意思で物事を決めたことがほとんどないのです。

いつも決定権は毒親にあって、毒親の指示に従って生きてきました。それが親孝行であり、立派な人間のすることだと教えられてきました。

すべては自分たちが世間から認めてもらうため、肯定感を得るため、都合の悪いことを隠すための自分たちにとって都合のよい指示でした。

 

それでもネットで情報を得るようになってから、家族のあり方がおかしいことや毒母の人格が異常であること、毒母のような人からは逃げるしかないことを知れたことはよかったと思っています。

 

ただ、毒親の毒は連鎖するのです。

息子も暴力的な機能不全家族に囲まれて育ったことで、一時期不登校になりました。

私も長年毒にさらされたことで、感情のコントロールができずにトラブルを起こし、息子まで悪く言われることになり、彼の交友関係にもヒビを入れてつらい立場に立たせてしまいました。

また、息子と接するときに無意識に毒親を参考にしているところがあるようで、自分の話し方や接し方が毒母に似ていることがあり、ハッとすることがあります。

何より人生が生きづらくて仕方ありません。そんな私に育てられた息子も同様に生きづらさを抱えています。

息子にとって私は毒母なのです。