毒親の記憶と私の生活

毒親のことや日常の出来事や思ったことを書いていきます

毒弟と毒父

毒弟は長年に渡り暴力を振るってきました。

暴力がひどくなったのは、大学受験に失敗した頃からです。最初は毒母を殴ったり蹴ったりしていましたが、すぐに矛先が私に代わりました。

その頃私は社会人として働いていましたが、殴られて腕に痣ができたときは、痣を隠すために夏でも長袖の袖口を少し巻き上げて7分袖にして仕事をしていました。

毒父に毒弟に暴力を止めるよう言ってほしいと言ってもしらんふりです。

 

私と息子が同居してからは少なくなくなりましたが、暴力を振るうぞという威嚇はよくしていました。

先に暴力を振るうと、警察を呼ばれた時に自分が不利になるため、私から先に手を出すよう仕向けてきます。

例えば正面から暴言を吐きながら私を見下ろして、ゆっくりくっつく直前まで近づきます。私が離れるよう言って肩を押し返そうと手を動かすと、その手を思いっきり弾きます。全治3ヶ月の怪我を負いました。

私が動かないと頭を鷲掴みにしますが、それ以上のことをすると自分が不利になるため、暴力は振るわずに口汚くののしったり、つばを吐きかけてきます。物を投げつけることもあります。

 

暴力を振るわれそうな時は警察に証拠を提出するために録音しようとしていましたが、見つかって消去されたり、録音させたまま、私が真っ赤な顔をして暴れているという嘘を喋ったりします。

 

毒父になぜ暴力を振るうなと言わないのか聞くと、

「暴力なんてあっちこちそのへんでよくやってるじゃないか、よくあることなんだから」「みんなやってることなんだから」

と気にして怒る方がどうかしているという言い方でした。別の日にも毒弟が暴力を振るったことを言って、止めるよう言ってほしいと言っても

「腹が立つことがあるんだろう」

と毒弟の暴力に理解を示します。しかもその後、子どもの前で「殴っていいぞ」と言って私を毒弟に殴らせようとしました。私が「私は殴られるだけの人間なの?」と言うと「そうだ」と言いました。

 

ある日、毒母が暴言を吐き続けた時にやめるよう言ってもさらにエスカレートして暴言を吐き続けたため、怒りが抑えきれず頭を2、3回叩いたら、毒父は激怒しました。

「暴力は振るうな! 暴力は絶対いけないんだからな!」

と言って紙を取り出してそこに鉛筆かボールペンで

「暴力は絶対にいけない」

と書いて私に渡してきました。

その後も何かのことを毒父と話していたときに私が毒母に暴力を振るったことを持ち出してきて

「お前は何回母親をたたいたんだ! 何回も叩いたんだぞ!」

と言われました。

なので毒父に

私「暴力は絶対いけないんだよね、紙にそう書いて私に渡してきたよね」

毒父「そうだ、暴力は絶対にいけないって紙に書いて渡した」

私「でも弟が暴力振るったときは、暴力はそのへんでみんなやってるからいいんだって言ってたじゃない、弟にこいつ殴っていいぞって私を殴らせようとしたよね」「それで私が母親を2、3回叩いたら暴力は絶対いけないって言ったけど、暴力はいけないの?いいのどっち?」

毒父「・・・」「あれ?俺もなんだかおかしい」

物事の全体を説明して、人に指摘されれば自分がおかしいと気づくところは若干あるんだなと思うと同時に、普段は物事を考えずにその場その場で都合のいいように喋っていて、おかしなことを言っている自覚がないんだなと思いました。

毒父は毒母に洗脳されて今日まで生きてきましたが、たまにわれに帰るところがあります。でもまたすぐ毒母の毒に染まってわれに帰ったこともなかったことになるのが残念です。そうしないと夫婦関係が悪くなるからですが、そういう理由で自分がおかしくなっているということに毒父本人は考えが及びません。

私が「お父さんは自分がないんだね」と言ったら「うん」と言っていました。

毒弟もこの家族が機能不全家族なのは重々承知です。しかしこの家族に染まらないと生活出来ないため、悪に魂を売り渡しています。

 

毒母の毒に染まらなければ家族としてやっていけない、そういう家庭です。私も家族のサンドバッグの役割をしてきましたが、長い間自分がそういう役割だとは気がつきませんでした。子どもの頃から、なぜすぐに私を怒るんだろう、なぜ私を悪く言うんだろう、なぜ何をやっても評価されないんだろう、頭の中がなぜなぜの嵐でした。授業中もぼんやりそのことを考えていて、先生に「今他のことを考えてただろう」と注意されたこともありました。でも家の家庭は何かがおかしいと漠然と感じていました。

 

中学の時、友達と一緒に帰ったときに、家庭で毒父が会話する時と同じ感じで友達に話しかけたら、友達が

「どうしてそんなに悪態つくの?」

と言いました。

こういう話し方は悪態をつくって言うんだと始めて知りました。え、でも家ではみんなこんな話し方で会話するけど、他の家はこういう話し方で会話しないんだ、家は変なのかなと思いました。おかしな家庭で育つとおかしなことがあたり前になる怖さを知りました。

 

長い間、世の中に話しが通じない人間がいるとは思いませんでした。家庭の外の世界ではそのような人に会ったことがなかったから。無意識に相手を選んでいじめを楽しむ人間がいることもわかっていなかったし、もっと話し合えば理解し合えるのではないかと望みをもったりしましたが、本やネットで情報を得るようになってからは、ようやく自分の身近な人が、話しが通じない人間だと気が付きました。

 

 

 

 

 

 

毒母、また来ました

また毒母が来ました。

インターホンを何回も鳴らします。

ドアの外に出て、「なんで来るの、来ないでって言ったよね。この間あなたが来たとき具合が悪くなって仕事を休んだのよ」

と伝えても全然聞いていません。

「これお金、お父さんが持っていけって言ったから」と言って封筒を郵便受けに入れました。

以前もお父さんが持っていけって言ったからと言って食べ物を持ってきたので、後で毒父に確認したら、「そんなことは言ってない」と言っていました。どちらが嘘をついているのかわかりません。

 

「私生活できてるのか心配しているの」

と言うので

「病気がひどくて寝込んで仕事も出来ない状態の人間を追い出したんでしょ、そんなことを言う権利はありません」と言ったら

「そんなことしていない」と言います。

いつも自分の都合の悪いことはなかったことにします。しかも嘘をつくことに全く罪悪感がなく、病的に嘘をつきます。

実家を追い出された時、私は病気の症状がひどくて働けずにいました。その状態の人間に出ていけというのは、生活保護をうけろとかのたれ死ねと言っているのも同然で、引っ越してからは貯金を切り崩しながら約一年生活していました。その時にはこちらの生活の心配なんてしていなかったのに、今になって何なんだろうと思います。

 

実家にいたときは私にはお金を入れさせて毒弟には一銭も入れさせませんでした。私が20代の頃、私の目の前で渡したお金を毒弟名義の通帳に挟んでいたときはショックでした。「私の通帳もあるの?」と聞くと「あんたのなんかあるわけないじゃない」と言われました。毒弟もアルバイトをしているんだから少しは入れてもらえばいいんじゃないかと言うと、貯金してるんだろうと言います。毒弟は働いたお金は全部自分のもので、保険や年金、携帯代も親払いで自分名義の貯金までしてもらって、私には「お前にいくらかかったと思ってるんだ! 育てるのにかかったお金を返せ!」と言っていました。

 

毒母はまた何か持ってきたようで、玄関前に置こうとするので「持ってこないでって言ったよね」と言っても「これ取り寄せたの」と言ったりして私の言ったことへの返事になっていません。

「持って来ないでって言ったよね、やめてよ、なんでやめてって言ってるのにそういうことするの」

何度も言ってようやく引っ込めます。

 

とにかくお金や物を受け取るとまた持って行けば受け取ると思われるので

「あなたが来ることが私の困ったことなの。お金はいりません、来ないで下さい」と言いました。

私が話している時も何やらむにゃむにゃ話していて聞いているのかいないのかわかりません。

渋々帰って行きました。

毒母が死ぬまでこんな感じのやり取りが続くのかと思うと気が滅入ります。

近所や親戚には自分のしたことは一切言わず、わがままで自分勝手で親不孝な娘を心配している健気な母という設定にしています。

 

今住んでいるところは毒実家に近いので、毒母が中々来れない場所に引っ越したいです。

家を出る時に、私は離れた場所に引っ越したかったのですが、子どもが転校するのを嫌がったため、仕方なく同じ学区内に引っ越しました。今はもう少し離れた場所に引っ越すことも出来るのですが、生活を考えると家賃を出来るだけ抑えたいと考えていて、今住んでいるところより安いところは団地しかなく、何度も応募しましたが落選続きです。

 

毒父いわく、毒母は行くところがないから私のところへ行くんだそうです。

以前は自分の姉や妹とよく会っていましたが、相手の都合で会えなくなったり、自分が年老いて遠方の姉妹に会いに行くことが中々できなくなったから私のところに行くんだと言っていました。そうなんでしょうか。それもあるかもしれませんが、それだけではない気がします。

私が社会人になって家を出ると言い出した時、毒母は普段私には無関心で毒弟にべったりなのに、パニックを起こして喚き散らしました。そしておきまりの親不孝者呼ばわりです。一人暮らしを始めると週末に毒母から電話がかかってきていました。いつの間にか合鍵を作っていて、私の留守中でも部屋へ入れるようにしていました。

そういう過去のことも考えると、私を心配しているのではなくて、自分の所有物が手元になくなるのが嫌だと思っている気がします。しかも物が意思を持って行動したことは、自分が支配しきれていないということで、なんとかまた支配下に置きたいと思っているのではと感じます。

やっていることが完全にDV人間と同じです。

離れると支配下に引き戻すために親切にするけれど、支配下に入ればまた暴力や暴言を吐くというサイクルなんでしょう。しかもモラハラなので周囲への立ち廻りはうまくて私を上手に孤立させておいていじめを楽しみます。

 

そういえばある精神科医の書いた本に、親は年をとると、いじめてきた子どもを頼りにするとありましたが、そうなのかもしれないなと思ったりします。

以前毒父の体調が悪化した時も「お父さんの具合が悪いから戻って来て」と言われましたが、出ていけといったり戻って来いといったり、自分勝手もいい加減にしてほしいと思ったものです。溺愛してきた毒弟を頼ればいいのに。私は毒親の最後は看取らないつもりです。というか実際毒家族と顔を合わせることは身体的にも精神的にも無理です。

 

そんなことでまたしばらく精神不安定になりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毒親との現在

現在毒親とはかなり疎遠になっています。

 

以前は毒母が手紙を持ってきたり、食べ物を持ってきたり、息子の誕生日や正月にお金を持ってきたりしていましたが、7月に来て以来訪問はありません。

 

来たのが毒母だと分かると、ドアを開けないことにしていましたが、20分間インターホンを鳴らし続けたり、ドアに付いている郵便受けのカバーを上げて、そこから私に話しかけてみたり、ドアをドンドンと叩いたりします。

毒母だと知らなくてドアを開けてしまったときには、すぐに閉めようとするのですが、毒母は自分の肩やつま先をドアに挟み込み、閉めるのを阻止します。

そんなやり取りは疲れます。

 

何回も「声を聞くだけで体調が悪くなるので来てほしくないし、手紙も持ってこないでほしいし、二度と会いたくありません」と言っても響きません。

 

持ってくる手紙の内容も、私との間に何事もなかったかのような

「この間みんなで○○という有名なうなぎ屋さんに行ってきました」

とか

「先週○○君(息子)の誕生日祝を持って行こうと思っていたけど遠出して疲れてしまって行くのが遅くなってしまいました」

とか

「親戚の○○ちゃんがうつ病になりました。精神疾患は一番つらいので気をつけて下さい」

とか

「お父さんも一時は体調が悪かったけど今は元気です。私たちのことは心配しないで下さい」

とか、なんでこんなことを私に向けて書けるんだろうと脱力します。

「困ったことがあったら言って来て下さい」

って手紙に書いておいて、毒母が来ることが困っていることだと伝えてもそれは無視されます。

 

そもそもあれだけ私を嫌がって「私あなた嫌い」と言っていじめたり暴言をあびせたり、悪者に仕立てあげたあげくに出ていけ! と言ったのに、何事もなかったかのように平気な顔をして来るのが信じられません。

普通の親子関係を望むなら、

「ひどいことをしてごめんなさい」

がまずあるだろうし、

それ以前にいじめたり、何もしていないのに悪者にしないでしょう。

 

毒母の言動は

「お前は感情を持つな」と言っているのと同じです。

 

毒母のやることを受け入れると「私は感情をもちません」と自分で言っていることになり、自身を傷つけることになります。

 

ここまでブログを書いていたら、インターホンが鳴りました。

毒母が来ていました。引き寄せでしょうか。

私がドアを開けずに

「やめて」

と言うと

「やめてじゃないの、あのね、」

と話しだしました。

 

毒母にやめてほしい気持ちを否定する権利はありません。

いつもこういう話し方をします。

「お前は感情を持つな」「お前は意思を持つな」

ということです。

 

家で大きな声で言い合いをするのを息子に聞かせたくなかったのでドアの外に出ました。

「やめて、来ないでって言ったよね」と言っても私の言葉をさえぎって話します。

話しながら何か手提げの中から出そうとしていたので

「持ってこないでって言ったよね」

と言ってもまだ出そうとしています。

「持ってこないでって言ったじゃない」

2回言ってようやく引っ込めます。

 

何か話しながら手紙を手提げから取りだそうとするので

「なんでピンポン鳴らすの。ピンポン鳴らさないで」

と言って家に入りました。

手紙が郵便受けに入っていました。

 

手紙には自分の近況と「正月に家に来てください。楽しみにしています。」と書いてありました。

毒父に電話して、毒母が来るとトラウマ反応が出て仕事に行けなくなることと、実家に行くことはもうないということを毒母に伝えるよう言いました。 

毒父も毒父でばかにしたように半笑いで受け答えします。

もう何回も手紙や電話で話しているのにと思うとむなしくなります。

 

今日はお風呂にも入れて体調も割とよかったから明日は仕事に行こうと思って、持ち物を準備したのに・・・。

行けなくなりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はドンキに

今日も夜中は眠れなかったので、朝まで起きて9時開店のドンキに行きました。

車を持っていないので、電車に乗って行きます。

 

ドンキは5千円以上お買い物すると無料で配送してくれるので助かります。

お米や水など重いものはドンキで購入。

しかも安い。

持ってくる人は大変だろうなと思いながら、いつも宅配をお願いしています。

 

家はテラスハウス、って言うとオシャレだけど、2階建て長屋に住んでいて玄関が一階にあるので、宅配の車から玄関までの距離が短いけれど、エレベーターなしの団地やアパートだともっと大変なんだろなと考えたりします。

 

話がそれますが、以前私はスーパーで働いていました。

職場に入った時から私をいじめる人がいました。

その後別の人と人間関係のトラブルがあって、最終的に居づらくなって辞めました。

 

辞めてから私と職場でトラブルのあった人が地域の人に私の悪口を言いふらしました。

そのことが別のトラブルを招き、地域の人からいじめのような目に会いました。

 

それからというもの、スーパーに行くと呼吸が浅くなり、不安感に襲われて、買い物するのがつらかったのですが、最近ようやく平常心を保てるようになりました。

よかったです。

 

今日の夕食はタラ鍋でした。

鍋はいいですね。材料入れて煮込むだけ、簡単です。

材料は昨日ヨーカドーのネットスーパーを利用して宅配してもらいました。

ネットスーパーは店舗より種類が少なくて少し高いのですが、便利です。

 

近年ネットスーパーを展開しているお店が増えて便利になりました。

宅配弁当も色んな会社がやってるし。

食べ物以外でも大抵のものがネットで手に入ります。

助かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何もする気がおきない

ここのところ特にすべてのことがとても億劫で無気力状態に陥ってます。

 

洗濯はなんとかやっています。

 

平日の夕食は週4日おかずを宅配してもらっています。

宅配おかずばかりでも飽きるので週1仕事帰りに惣菜を買って帰っていました。

 

でも仕事にはしばらく行けそうにありません。

宅配を週5にしようと思います。

 

困るのは土日で、宅配はお休みだし、冷凍おかずの宅配は食べ飽きてるしおいしくないしで、簡単なものを作るか弁当を買ってきていました。

 

買い物に行く気力もないけど、なんとか気力を振り絞って出かけます。

 

お風呂に入る気力もありません。

5日くらい入らないことはよくあります。

10日入れない時もありました。

 

入るときにはまず洗顔フォームや浴用タオルと浴用スポンジを風呂場に置いて、脱衣所にバスタオルや替えの下着を置いてからベッドに横になります。

 

お風呂に入る用意をしたからもう少ししたら入るんだと自分に言い聞かせます。

自分の気分をお風呂に入るモードに切り替えていきます。

 

そしてベッド脇で服を脱いだら、お風呂場に直行します。

 

そんな感じでお風呂に入るのも勇気が必要になっています。

 

話とびますが

昨日の息子のpcr検査の結果は陰性でした。

よかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナかな?

息子が発熱したので発熱外来へ行きました。

2日前から発熱していて頭痛と寒気があるそうです。下痢も続いています。

今日の検査でインフルエンザではないことがわかりました。

コロナかどうかの結果は後日の連絡だそうです。

 

息子がコロナだったら、私は濃厚接触者なのでpcr検査を受けることになるんだろうな。

 

気のせいかいつもより身体がだるくて重い気がします。

 

そんなことでいつも金曜日はヘルパーさんに来てもらっていますが、電話で事情を話してキャンセルしました。

 

ヘルパーさんに来てもらってとても助かってます。

家の雰囲気に違和感なく溶け込んでいて、親戚の人のような雰囲気のある人なので、安心してしまい、疲れている時はお掃除をおまかせしている間、爆睡しています。

 

ブログのタイトルですが、また変えてみました。

タイトル決めるのって意外と難しいですね。

あれもこれも書きたいと思うと話が散らばって、何のブログか分からなくなるし。

 

私は毒親との間にあったことを書くことによって、毒親や自分のことを客観的に見れるようになれるかな、

とか

そうすれば自分の心の傷が少しは癒やされて、物事のとらえ方も変わってくるのかな、

と思って書いてますが、

 

毒親との記憶を書くとうつ病の症状が悪化します。

なので毎日は書けません。

生活のこととか書きながら時々書いていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

強く記憶に残っていること

毒親との生活で強く記憶に残っていることが今でも思い出されます。

 

記憶その1

中学生か高校1年生のときだったと思う。

 

毒母は私の通知表がオール3だったことに激怒してスリッパで私の頭を叩き始めました。

洗面所に逃げてうずくまっても叩き続けて、両手で頭をかばったら、みぞおちを蹴り上げられました。

胃液が口まで上がってきて吐きそうになりました。

 

毒母は私を蹴り上げたあと「ハッ!」と一息吐き、せいせいしたという感じでクルッと背中を向けて去って行きました。

 

毒母が私を叩くのは夕食を作る前が多かったです。家事をやりたくない苛立ちを私にぶつけていたんだと思います。

だから理由はなんだっていいんです。

 

毒父がいる時は叩きません。毒父が帰ってくる前に叩かれます。

 

記憶その2

私が子どもの頃、毒母の実家は新幹線を使って行くほど遠方にありました。行くと10日くらい滞在していて、毒父は仕事の都合もあるし毒母実家は狭いので1日か2日滞在して先に帰ります。

 

行きは毒母も楽しそうにしていて殴られることはなかったけど、帰りはゲンコツで頭をなぐられることが時々ありました。

 

毒母実家から帰る時に祖母がお土産をくれるし、自分たちの持ってきた着替の他に買い物したものも合わさって荷物が増えます。

 

祖母が

「重いから宅配で送ろうか?」というと、

毒母は

「いいのよ、この子に持たせるから」と言って大きい紙袋を小学1年生の私に持たせました。

引きずらないように持ち上げて運ぶのは小さい私にはちょっと大変でした。

弟は毒母の背中におんぶされたまま、上から私にちょっかいをだします。

私が嫌がって弟と揉めると無言で私の脳天にゲンコツを落とします。

 

私が悪いんじゃないのにという悲しい思いと、まわりにたくさん人がいる中で殴られて恥ずかしいという思い、それでも重い荷物を運ばなくてはいけないという悔しい思いがいりまじった気持ちを抱えて毒母の後ろを歩いていたのを覚えています。

 

毒母は楽しい里帰りが終わってしまって帰らなくてはならないのが嫌だったのでしょう。

また家事に追われる日常に戻るのも嫌だったのだと思います。

 

毒母にとって怒る理由はなんだっていいんです。自分の苛立ちをぶつけられれば。